前会長
玉井 純夫
前会長 玉井純夫 様 の言葉
ある日たまたま電車に乗り合わせた大学教授が聴くともなしに近くにいた大学生らしい二人の会話を耳にして、驚いた。
学生A「なんか、むかし日本とアメリカは戦争したらしいぞ」
学生B「えっ、マジかよ。それでどっちが勝ったんだ?」
事の真偽は別にして、これは日本でのはなし。
2007年8月下旬にシアトルで開催されました「第六回海外福岡県人会世界大会」の開会式のスピーチで、わたしは次のようなお話をさせていただきました。
私どもが住んでおりますここアメリカで、日本のことをよく知らない人たちに「県人会」を説明することは非常に難しく、このように「県人会」という一言で解ってもらえる英語はないと思います。もともと「ナショナル」の起源は、古代イタリア語の「ナチオ」にあるそうです。ローマ帝国時代に、広大な領土のあちこちからボローニャ大学に集まってきた留学生たちが、同郷の仲間と、共通語のラテン語ではなく故郷の言葉で話して自らの民族の伝統、文化を確認しあった、いわば県人会のようなものであったが、その会のことを「ナチオ」と言ったそうです。つまり発端は民族性の問題と捉えることが出来るのではないでしょうか。と同時に、こうしてローマ帝国に県人会のようなものが存在していたことから、別に「県人会」が日本特有の文化でもないことがわかります。それでは、「県人会」のようなものが、どうして国家という意味の「ナチオ」、あるいは「ナショナル」になったかを考えますと、人間はまず自分の家族を愛し、隣近所と仲良く暮らし、そして郷土愛を育みます。その郷土愛から「国家」というものが生まれるのではないでしょうか。言い換えますと、「国家」が存在し得るのは、ひとつに確固とした郷土愛、すなわち県人会のような郷土愛があってはじめて存在するのであるとわたしは思っております。文化論、文明論の視点から見れば、「ナショナル」でないもので「インターナショナル」になったものはありません。日本に限っても、寿司や柔道、相撲は極めてナショナルなものであるから、今、世界中で受け容れられているのではないでしょうか。ですから、県人会はナチオで始まり、愛国に繋がる重要な文化であると考えて、大いに発展させなくてはならのではないでしょうか。
謂ゆる「日米戦争」も「県人会」もずっと昔のものになってしまい、それらを知らない世代の人たちが日本にもアメリカにもたくさんいるようになったということでしょうか。しかしながら、1992年にロサンゼルスで開かれたの第一回海外福岡県人会世界大会から三年毎に持ち回りで開催されて、「第六回世界大会」は私どもシアトル・タコマ福岡県人会が主催してのイベントとなりました。母県から知事、県議会議長と議員各位10名、総勢では250名を超える参加者が世界のあちこちの県人会からシアトルに集まりました。そして、この世界大会に併せて「シアトル・タコマ福岡県人会創立100周年記念祝賀式典」も開催され、大会に出席された皆さんと共に祝うことが出来ました。
ほとんどの県人会で永年にわたって直面している共通した問題点は、会員の高齢化、会員数の減少、そして近年移住した若年層と旧来会員との協調の難しさです。「ルーツは福岡、夢は世界へ」を標語に開催されてきた世界大会は、世界各地の県人会が一同に集い、情報交換と親睦を図るものです。今回のシアトル大会でもこれらの問題に正面から取り組みました。代表者会議にご出席された皆様の胸に、もう議論をしている段階ではなく、今すぐ実行出来ることから手をつけようという思いがありました。今回同時に開催された「青年の集い」でも活発な意見とアイデアが交換され、続いて開かれた福岡県知事、各県人会代表との合同会議でも、若い会員たちの声に真摯に耳を傾け、具体的なアクションプランを緊急に実施に移そうと言う真剣な空気に終始しました。海外県人会の子弟が福岡で留学する制度、「ふるさと体験」「青少年フロンティアプログラム」などの交流事業、今後の国際的な県人会交流を下支えする「経済・ビジネス交流」にも尚一層の支援をしていくこと等が決まりました。
「ふるさと体験」は、これまでのアジアからの小学生をふるさと福岡に招んで、福岡での生活を体験してもらい、興味を持ってもらおうと言うプログラムを、中南米や北米の県人会の子弟にも広げるということです。今年の夏には、アメリカ大陸から少年少女が福岡の土を踏むことになります。「青少年フロンティアプログラム」は、その反対に日本の子供たちに北米や中南米の県人会の家庭に入って二週間ほど移住者の生活を実体験してもらうと言うものです。2006年8月にシアトル・タコマ福岡県人会がまず五名の県内中学生をシアトルに招きました。翌年からはブラジルやメキシコ県人会等に福岡の少年少女たちが招待されました。このプログラムはまず日本からの一方通行の形で始められたが、将来は双方から若人が参加する、相互交換ホームステー体験の形になって欲しいと願っています。「経済・ビジネス交流」とは、先程述べました県人会会員の高齢化を逆手にとって、高齢会員が持っている時間と経験、それぞれの県人会の現地情報と知識、そしてビジネスにもっとも必要となる現地社会での「コネ」をうまく活かして、ふるさと福岡の中小企業や団体のためになる活動をしながら県人会の活性化と世代間のギャップを埋めようとする試みです。会員数を増やすことに成功した県人会からの報告では、常にイベントを開催することで、それも若い世代が興味を持つピクニック、和太鼓の練習、餅つき大会、カラオケ、ゴルフ、旅行などの趣味の会、等家族ぐるみで参加可能な手近なプログラムを頻繁に開催することがよい結果を生んでいるようです。
シアトルで100年前に福岡県人会が発足した当時は、移住してきた同郷の人たちが異国の地に在って親睦のためだけではなく、生きて行く上に必要な情報の取得や、外の社会との接触などいろいろな面で一緒になって行動をとることが不可欠であったために自然発生的にその組織が出来上がったものと考えられます。日米戦争が始まるや、一遍の大統領令でシアトル・タコマの全ての日系人は沿岸部から300マイル以上離れた奥地に急遽建てられた馬小屋みたいに粗末なバラックのような強制収用所に送られました。この強制立ち退きに与えられた時間はたったの72時間でした。従って、家財などを処分する時間もないまま、ほとんどの日系人は着のみ着のままで米政府が調達した収容所行きの特別列車に乗せられる羽目になった。ですから第二次世界大戦以前の写真とか記録がほとんど残っておりません。今となっては、その当時の様子を知る一世も二世も鬼籍に入られ、話を聴くことも叶わなくなっていることがとても残念です。終戦後は一世や二世に混じって、日本から仕事や結婚をしてシアトル地方に移住した福岡に縁のある人たちが中心になって県人会を再興させました。20年ほど前になりますが、一時期急速に会員数が増え、150世帯を超える組織になったこともありました。戦後の日本からの移住者を戦前の一世と区別するために「新一世」などと呼んでいますが、この世代も歳をとり、シアトル・タコマ福岡県人会の会員の平均年齢は60歳代の後半になり、他の県人会同様高齢化の波を避けられないでいます。私どもの県人会は最盛時の半分程度のサイズになりましたが、7年前の世界大会の開催に当たり、文字通り限られた数の会員と非会員のボランティアが日夜懸命の努力をして、多くの参加者の方々から「よい大会だった」とお褒めのお言葉をいただけましたことをバネにして、やる気さえあれば何でも出来るのだと言うことと、小さな出来ることからやると言う覇気の継続を大切にして、今後の県人会運営に活かして参りたいと願っております。
次回、「第9回世界大会」は2016年にメキシコ市で開催されることが決まりました。そして、その後は福岡と海外県人会所在地での交互の開催も決まっています。これは二回に一回福岡で開催することによって、より多くの海外県人会の会員や家族の人たちが世界大会への参加がてら帰郷したり、観光や親族訪問等をすることになるためです。老若男女の会員やその家族が母県と接点を多くすることが、県人会活動には欠かせない大切なことです。
考えて見ますと、日米が戦ったことも人種偏見があったことももうすぐに歴史の彼方へと追いやられるのでしょう。しかし、そのような時代であるからこそ、シアトル・タコマ福岡県人会では、戦争を知らない世代の人たちが気軽に立ち寄られる場を提供し歓迎したいと思っております。